3月10日の卒業式でも話題にしましたが、本校の校訓の一つに「和敬」(わけい)があります。今日は、その「和敬」について、触れたいと思います。
「和」も「敬」も、見慣れた漢字ですが、「和敬」という熟語になった時、ことばとしてどのような意味になるか、日常生活の中ではなかなか目にする熟語ではないだけに、本校の生徒たちにもきちんと理解してほしいことばです。
パンフレットや生徒手帳などでは、「心おだやかでつつしみ深く、相手を思いやること」と説明しています。
さて、「和」はもともと「なごやか、おだやか」といった意味で、「禾」+「口」でできていますが、「禾」は「人の声と声が調和すること」を表しているそうです。さらに「和」には、「応じる、調子を合わせる」や「やまと、日本」といった意味もあります。
熟語にすれば、「平和、和解、調和、和漢…」などなど見慣れたことばが多いものの、「和」を調べると、さまざまな意味があることがよくわかります。
一方、「敬」は「うやまう、つつしむ」といった意味で、熟語でも「敬語、敬遠、畏敬、敬礼…」など、「うやまう、つつしむ」といったイメージしやすいことばだと思います。
今後ますますグローバル化が進む社会において、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを待つまでもなく、日本にいながらにして様々な国の人たちと関わったり、ともに仕事をしたりする機会が増えていくことでしょう。
そんな時、「和敬」はぜひとも身につけておきたい資質である、と私は考えています。
文化や習慣、価値観などが違った人たちと生活したり、仕事の上で関わったりする際に、異質な物を排除したり拒否したりするのではなく、いったんしっかりと受け止めようとする力、相手の立場を思いやる力が、これまで以上に必要になってくるはずです。
グローバル化に対応すると言っても、単に国際社会に興味を持ったり、英語力を高めるだけでなく、一人の人として、幅広い視野を持つこと、また、人としての器を大きくすること、さらに、自分のことばかりでなく、相手の立場に立って考えられる、思いやることのできる「和敬」の心が、「多様化(性)」に対応する上でキーワードになると考えています。